仕事のご縁から山田方谷を訪ねて|新見市・大佐山田方谷記念館へ

以前このブログで、仕事でのご縁をきっかけに、岡山の偉人「山田方谷」について知ったことをご紹介しました。

それまで私は、岡山に住んでいながら、恥ずかしながら山田方谷についてほとんど知りませんでした。

山田方谷研究会で活動されている三宅様とのご縁から、その人物や功績について知るようになり、調べていくうちに、 「せっかく岡山にいるのだから、一度自分の目で見てみたい」 と思うようになりました。

そこで今回、一人で車を走らせ、新見市大佐にある「大佐山田方谷記念館」を訪ねてきました。

新見市大佐にある大佐山田方谷記念館
新見市大佐にある「大佐山田方谷記念館」

大佐山田方谷記念館で、その生涯を知る

大佐山田方谷記念館は、山田方谷が晩年を過ごした新見市大佐にあります。 館内には方谷に関する書や資料、略年譜などが展示されているほか、その生涯を紹介する映像を見ることもできます。

私が到着したときには他に来館者はいなかったのですが、その後4人ほどの方が来られ、皆さんと一緒に映像を見ることになりました。 映像では、方谷がどのような人生を歩み、備中松山藩の藩政改革や教育に携わってきたのかが紹介されていました。

もちろん、一度訪れただけですべてを理解できたわけではありません。 展示されている資料も多く、歴史的な背景も含めれば、まだまだ私の知らないことばかりです。

それでも、インターネットで調べるだけではなく、実際にゆかりの土地を訪れ、その場で資料を見ることで、 山田方谷という人物を少し身近に感じられるようになりました。

一番心に残ったのは、一人の少年の研究

今回の見学で、特に私の心に残ったことがあります。 それは、方谷本人の資料だけではありませんでした。

記念館の方から、新潟県の依田樹君という少年について教えていただきました。

依田君は小学校4年生から6年生まで、越後長岡藩士の河井継之助について自由研究を続けていたそうです。

河井継之助は幕末、山田方谷を訪ねて教えを受けた人物です。 依田君は河井継之助について調べていく中で、その師である山田方谷へと興味を広げ、 ついには新潟から岡山まで実際に足を運んで調査したそうです。

新潟県の見附市教育センターの資料にも、依田君が小学4年生から6年生まで河井継之助について研究を続け、 山田方谷を調べるため岡山県まで足を運んだことが紹介されています。

参考資料

見附市教育センター「教育センターだより」
依田樹君の研究について紹介された資料を見る(PDF) →

「小学生が、ここまで調べるのか」

というのが、展示を見た私の率直な感想でした。

一人の人物に興味を持ち、調べ続けるうちに、その人物に影響を与えた人へと関心が広がり、 最後には県境を越えて自分の足でその土地を訪ねる。

年齢に関係なく、「もっと知りたい」という気持ちは人を動かすものなのだと感じました。

そして考えてみれば、私自身も少し似ています。 仕事で出会った三宅様から山田方谷を教えていただき、「もう少し知ってみたい」と思ったことから、こうして新見まで来ています。

きっかけは違っても、一つの出会いから次の世界へつながっていくということが、とても印象に残りました。

記念館から「方谷庵」へ

記念館を見学した後、館内の方から、 「近くに方谷庵があるので、ぜひ見てみてください」 と教えていただきました。

せっかくここまで来たので、教えていただいた場所にも足を延ばしてみることにしました。

新見市大佐にある山田方谷ゆかりの方谷庵
山田方谷ゆかりの「方谷庵」

方谷庵は、方谷が晩年に母方の祖父母を祀るため、金剛寺境内に設けた庵です。 現在は岡山県指定史跡となっています。

記念館の展示を見るだけで終わるのではなく、こうして実際に方谷が過ごした土地を歩いてみると、 歴史上の人物が少しずつ「実際にここで生きていた人」として感じられるようになります。

方谷が晩年を過ごした「方谷園」

さらに足を運んだのが「方谷園」です。

方谷は1870(明治3)年、大佐小阪部に移り住み、「小阪部塾」を開いて多くの門弟を育てました。 そして1877(明治10)年、この地で生涯を終えています。

そこで目を引いたのが、空へ向かって高くそびえる石碑でした。

新見市大佐の方谷山田先生遺蹟碑
高さ7.5メートルの「方谷山田先生遺蹟碑」

これは、 「方谷山田先生遺蹟碑(ほうこくやまだせんせいいせきひ)」 と呼ばれるものです。

高さ7.5メートルのオベリスク形の石碑で、方谷が亡くなった小阪部塾跡に建てられています。 題字を書いたのは勝海舟。 1909(明治42)年に完成し、2025年には新見市指定重要文化財にも指定されています。

方谷山田先生遺蹟碑について説明する現地案内板
方谷山田先生遺蹟碑について記された現地の案内板

何気なく「大きな記念碑だな」と思って見上げていましたが、後からその意味を知ると、また印象が変わってきます。

記念館で生涯を学び、その後、実際に晩年を過ごした場所を訪ねる。 短い時間ではありましたが、山田方谷という人物を少しだけ身近に感じられた一日になりました。

人から人へ、時代を越えてつながっていく

今回の訪問を振り返って、一番心に残っているのは、やはり「つながり」です。

山田方谷から河井継之助へ。 そして長い年月を経て、河井継之助を研究した依田君が山田方谷へたどり着き、新潟から岡山へ。

そして私は、三宅様との仕事でのご縁から山田方谷を知り、今回初めて新見市大佐を訪れました。

人から人へ。
地域から地域へ。
世代から世代へ。

誰かが知識や経験、思いを伝えることで、
それを受け取った人から、また次の人へとつながっていく。

そんなことを今回の訪問で感じました。

「つながる、せかいへ。」という仕事

ジャパンテックコネクトでは、「つながる、せかいへ。」という言葉を掲げています。

私たちの仕事は歴史を研究することではありません。 パソコンのサポートをしたり、Webサイトを制作したり、ITを使った情報発信のお手伝いをしたりすることが仕事です。

でも今回の経験を通して考えてみると、その根本には共通するものがあるように思います。

誰かが持っている知識や経験、思いを、必要としている誰かへ届ける。 人と人をつなぐ。 地域と地域をつなぐ。 そして時には、世代や国を越えてつないでいく。

ITやWebは、そのための手段の一つです。

今回も、仕事でいただいた一つのご縁がなければ、 私は山田方谷についてここまで調べることも、新見まで足を運ぶこともなかったでしょう。

一つの仕事から、一つの出会いが生まれる。
一つの出会いから、それまで知らなかった世界を知る。
そして、そこからまた次の何かにつながっていく。

つながる、せかいへ。

そんなことを実感した一日でした。

次は、高梁へ

そして今回の記事を書くために改めて調べていて、もう一つ知ったことがあります。

実は山田方谷について学べる記念館は、新見市大佐だけではありません。 方谷が生まれ、備中松山藩の藩政改革などで活躍した高梁市にも「山田方谷記念館」があります。

……これは、行かないわけにはいきません(笑)

今回の新見市大佐への訪問だけでも多くのことを知ることができましたが、 まだまだ私は山田方谷について学び始めたばかりです。

次は高梁へ。
また実際に自分の足で歩き、自分の目で見て、感じたことをこのブログでお伝えできればと思っています。

最後になりましたが、山田方谷を知るきっかけをくださった三宅様に、改めて感謝申し上げます。 そして今回、記念館で丁寧にお話をしてくださり、方谷庵や方谷園について教えてくださった方にも感謝いたします。

知らなかったことを知る。
知らなかった場所へ行ってみる。
そして、そこからまた新しい人や世界へつながっていく。

これからもジャパンテックコネクトは、ITという私たちにできることを通じて、 そんな「つながり」をお手伝いしていきたいと思います。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

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